「カリオストロの城」で深まる五右衛門の美学:なぜ彼はカジノに入らなかったのか?

皆さん、こんにちは!映画レビューと名作探求が大好きな私です。

突然ですが、あなたはアニメ映画の金字塔と聞いて何を思い浮かべますか?多くの人が、宮崎駿監督の原点ともいえる『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)を挙げるでしょう。

この作品は、アクション、サスペンス、そして何よりキャラクターたちの魅力が凝縮されています。中でも、物語のターニングポイントの一つである「カジノ潜入シーン」は、ルパンと次元の華麗な連携が見どころですが、いつも私が立ち止まって考えてしまうのは、石川五右衛門の行動です。

なぜ五右衛門は、華やかなカジノの内部に入らず、外で待機していたのでしょうか?そして、その「待機」が彼の美学とどのように結びついているのか?今回は、五右衛門の持つ独自の倫理観に迫りながら、この名シーンを深く掘り下げてみたいと思います。

永遠の名作が示すキャラクター造形

『カリオストロの城』は、ただ面白いだけでなく、ルパン一味それぞれの「役割」と「哲学」を非常に明確に描いています。

ルパンは常に大胆不敵で、機知に富んだリーダー。次元大介はクールで義理堅い相棒。そして、石川五右衛門は、旧時代の侍の精神を持ち続ける孤高の剣士です。

カジノ潜入は、クラリス救出のため、大公国の秘密に迫る重要なステップ。ルパンと次元が派手にカジノの金を巻き上げ(て、伯爵の怒りを買う)ことで、城内の空気を一変させます。しかし、五右衛門は—彼が持つ「斬鉄剣」があれば、侵入など容易いはずなのに—一歩も足を踏み入れません。

五右衛門の哲学:金には手を触れぬ主義

このシーンで五右衛門がカジノに入らない理由は、彼のアイデンティティそのものに関わる、あまりにも有名なセリフに凝縮されています。

五右衛門は、カジノの内部で騒動を起こすルパンと次元の様子を気にかけながら、ポツリとつぶやきます。

「拙者は、金には手を出さぬ主義でござる」

この一言こそが、五右衛門というキャラクターの美学の核心です。

1. 「汚れた金」への拒絶

カジノで流通する金は、伯爵が支配する大公国の裏金であり、欲望が渦巻く場所に集まる「穢れた金」だと五右衛門は認識しています。侍である五右衛門にとって、目的のためとはいえ、そのような金銭に触れることは武士の誇りを汚す行為なのです。

ルパンや次元がギャンブルを「ゲーム」や「手段」として捉えるのに対し、五右衛門は**「倫理的な問題」**として捉えます。彼の行動は、単なる頑固さではなく、自らの生き方を貫くための絶対的なルールなのです。

2. 武士道の忠義と境界線

五右衛門はルパンの仲間であり、彼への忠義は熱いものです。しかし、それは**「ルパンの悪事に加担すること」**とは同義ではありません。彼は、ルパンの無謀な計画をサポートするが、彼の「美学」が許さない領域には踏み込まない、という絶妙なバランスを保っています。

ルパンもまた、五右衛門のこの特性を理解しているからこそ、彼にカジノ内での役割を求めず、最も重要な「切り札」として外に待機させたのでしょう。

カジノ・ミッションにおける役割分担(テーブル分析)

この潜入作戦は、ルパン一味の完璧なチームワークを示す好例です。三人の役割を見比べてみましょう。

キャラクター 潜入時の主な役割 カジノへの態度 成功の貢献度(内部/外部)
ルパン三世 攪乱・情報収集 楽しむ、悪戯心 内部(直接的な情報入手)
次元大介 護衛・援護 諦め、冷静沈着 内部(警備システムの無力化)
石川五右衛門 待機・最終兵器 拒絶、厳格な規律 外部(逃走経路の確保)

五右衛門はカジノ内部の直接的な騒動には関与しませんでしたが、彼の存在こそが、この作戦の成功を保証する最大の要因となります。

最高の切り札としての五右衛門

ルパンと次元がカジノを脱出し、伯爵の追手が迫る中で、五右衛門はついにその真価を発揮します。

城からの脱出ルート、つまり大公国の秘宝の隠し場所へ続く道を切り開く、彼の唯一無二の役割がそこにありました。

斬鉄剣が示す美学の完成

五右衛門がカジノの金銭に触れることを拒否したからこそ、彼は純粋な「剣」の使い手として、任務を遂行できます。

豪華な壁、扉、追手の車。五右衛門は力ではなく、たった一本の刃でそれらを両断し、危機を突破します。その時の彼のセリフは、彼の行動原理をそのまま表しています。

「またつまらぬものを斬ってしまった…」

このセリフは、侍にとって無益なもの(この場合は追手の車や壁)を斬る行為に対する、一種の虚無感と、それによって自己の技を再確認する瞬間の入り混じった心情を表現しています。彼の行動に「金銭欲」や「私欲」は一切ありません。あるのは、ルパンへの忠義と、剣の道を極めるという純粋な目的だけです。

五右衛門の行動から学ぶこと(リスト)

カジノ潜入シーンは、我々に石川五右衛門の「美学」が以下のような要素で成り立っていることを教えてくれます。

自己の原則の堅持: どんな状況下でも「金に手を出さない」というルールを曲げない強固な意志。
役割の理解と遂行: 自分の役割(剣による突破)がどこで最も効果を発揮するかを理解し、じっと待機する忍耐力。
環境への適応力: 華やかで退廃的なカジノという場を拒絶し、清廉な自己を保とうとする潔癖さ。
究極の効率性: 騒動に参加せず、必要な時、必要な場所で一瞬で仕事を終わらせる最高のプロフェッショナルism。

五右衛門は決して古臭い男ではありません。彼は、現代社会の複雑な欲望や汚れから距離を置き、研ぎ澄まされた自分自身を保つ、非常にモダンな「ミニマリストのプロ」なのかもしれません。

よくある質問(FAQ)
Q1: 五右衛門は本当に一度もギャンブルをしないのですか?

A1: 『カリオストロの城』では金銭への潔癖さを見せますが、テレビシリーズや後の映画では、例外的に、ルパンに無理やり連れられてカジノに入ったり、結果としてギャンブル行為に参加させられたりする描写はあります。しかし、基本的には本人が進んで欲望の対象となる金銭に触れることはありません。

Q2: なぜルパンは五右衛門をカジノに入れなかったのですか?

A2: ルパンは五右衛門の性格を熟知しています。①五右衛門がカジノに入ることを嫌がるため、無理強いしなかった。②五右衛門の能力(斬鉄剣)は、密室の城内よりも、逃走経路の確保や巨大な障害の破壊といった「大仕事」のために温存されていた、と考えられます。

Q3: 待機していた時の五右衛門は何を考えていた?

A3: セリフから察するに、「ルパンたちの騒ぎはくだらないが、彼らの安全のために待つ」という忠義と、「早く自分の出るべき時が来て、このつまらない待ち時間を終わらせたい」という焦燥感が入り混じっていたと考えられます。

まとめ:五右衛門の清廉さが光る名シーン

『カリオストロの城』のカジノシーンは、単なる派手なアクションパートではなく、ルパン一味の個性と関係性を深く描いた傑作です。

ルパンと次元が「悪の愉しみ」を爆発させている裏側で、五右衛門はただ一人、自らの信念を通し、その清廉さゆえに、最終的にルパンの危機を救う切り札となりました。

「金には手を出さぬ主義」。この一貫した美学があるからこそ、五右衛門は40年以上経っても愛され続ける、孤高の侍剣士であり続けるのでしょう。

[終]

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